世界農業遺産としての価値

伝わる文化

農業と関わりの深い伝統文化

噴煙を上げる中岳と草千里阿蘇火山の活動は、農作物に大きな被害を与えることから、人々は古来より火山を神として敬ってきました。今日、阿蘇神社の周辺では、阿蘇山の噴火による火山灰の降灰などの農業被害を鎮めるといった農業に関わりの深い儀式・祭事やを多く見ることができます。

阿蘇の農耕祭事は、阿蘇神社・国造神社を中心として、年間を通じ稲作儀礼が行われます。豊作を願う、古くからの人々の営みの様子がよく表されており、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

阿蘇の草原は、多くが入会地(いりあいち)として集落単位で共同管理されています。集落単位で草の利用規定の設定や入会権者間の競合・混雑が回避されたこと、集団作業は個人作業に比べて効率性が高いことがあいまって、地域資源である草原の持続的な利用に大きく貢献しています。

阿蘇の農耕祭事

阿蘇神社・国造神社では、豊作祈願・阿蘇神社楼門の画像天災防除・収穫感謝など、四季を通じた祭事が行われています。氏子区だけでなく阿蘇谷全体で展開され、阿蘇谷に暮らす人々の営み、暮らしとともに一連の農耕祭事=祭祀として伝えられてきました。

農耕祭事は阿蘇の人々の暮らしの暦が阿蘇神社を中心に営まれてきたことを物語っています。これら阿蘇の祭祀は、「阿蘇の農耕祭事」の名称で国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

火振り神事

田作り祭りの期間中、申(さる)の日にあたる日に火振を行う人々の画像御前迎え」が行われます。国龍神(くにたつのかみ)の御妃をお迎えする儀式で、朝から深夜に続く長いお祭りです。

そのクライマックスは、夕闇迫る境内で火の輪を廻す「火振り神事」です。国龍神と姫神のご結婚を祝い、境内では束ねた茅の火の輪を廻してお祝いします。火振り神事までの行程はあまり知られていませんが、本当に阿蘇らしい抒情絵巻の一連の神事です。

朝早く神職2人と氏子の青年2人が阿蘇神社から12キロメートル離れた赤水地区の吉松宮に向い、眼隠しをして樫の木を選び、姫神をつくります。秘事のため見ることはできません。姫神は真綿、さらには樫の葉で包まれます。阿蘇神社に向う道中、集落ごとに直会が数回行われ、阿蘇神社近くの塩井神社で姫神は清められ、さらに化粧原地区ではお化粧を施されて阿蘇神社へ向います。この間約8時間程、馬に乗っての道行きとなります。境内で火の輪に迎えられた姫神は拝殿に到着し、大きな赤い傘の中でご婚儀が行われます。厳粛な秘事です。

婚儀が終ると2人の神様は神輿に乗って宮地の地をひとめぐりし、夜は静かに更けていきます。

御田(おんだ)祭り

火の渦の火振り神事とは対照的に、おんだ宇奈利の画像祭りは瑞々しい青田の中を神輿がゆっくりと進みます。 白い衣を着た宇奈利(うなり)の行列は古への幻想を誘います。

おんだ祭りは、神様が稲の生育ぶりをご覧になる神事です。馬に乗った阿蘇大宮司、4つの輿に12の祭神が遷され、14人の宇奈利が火の神と水の神を含めた14人分の食事を頭にのせ、阿蘇神社を出た行列は古代絵巻さながらに、ゆっくりと田をめぐり、一の御仮屋(おかりや)での神事、そして二の御仮屋をめぐり、阿蘇神社には夕刻の5時頃帰ってきます。駕輿丁(かよちょう)による楽納めの儀が行われます。

夏雲の下、展開される古式ゆかしいおんだ祭りも、農の節目節目に行われる大切な農耕祭事であり、その幻想的な光景に全国からカメラマンが集まります。

国造神社おんだ祭りは、阿蘇神社より小規模ですが、内容はほとんど変わりません。前夜に遷座祭を行い、祭りでは、猿田彦を先頭に宇奈利6名・田楽・田男・田女・牛頭・神輿1基・宮司等の行列で御仮屋に向かいます。御仮屋では神輿が納められて神事があり、駕輿丁(かよちょう)による田歌の中で御田植式が行われます。

次に、田歌を歌いながら行列はゆっくりと神社へ向かいます。神殿で7回半の宮巡りと境内で御田植式が行われ、神輿は拝殿に安置し駕輿丁による田歌の歌い納めがあります。その後、駕輿丁は各地区へ帰って田歌の歌い込みがあり、神社では神々を遷座しておんだ祭りは終わります。

昔から不思議とこの日に夕立があり、「手野のおんだは夕立おんだ」とことわざにもなっています。

火焚き神事

火焚き乙女とその母親の画像火たき神事は、竹原、上役犬原、下役犬原の三つの集落から選ばれた少女が、8月19日の夜から59日間、霜宮の火たき殿にこもり、たきぎを燃やし続け、霜除けの祈願をします。

阿蘇の開拓神・健磐龍命と鬼八という足の早い従者の神話がもとになっています。